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美容室は“髪を切る場所”。それだけ?~茅ヶ崎『CHELSEA hair』コンサルティングレポート①

CHELSEA hair

「最近、毛先がパサパサして……いいオイルありますか?」
「前髪がぱっくり割れちゃって毎朝セットが大変で」
「あそこに新しくできた居酒屋、すごい美味しかったですよ!」
「今日の海、めっちゃ良かった」

美容室でカットやカラーをするとき、こんな会話をした経験が誰しも一度はあるのではないでしょうか。

もしかしたら、「美容室はお喋りしに行ってるみたいなところもあるな(笑)」と思い当たる人もいるのでは?(もちろん、美容室に限らず「店員さんとお喋りするの苦手なんだよね……」という方もいると思う)

しかし、こうした会話を楽しみたくても、なかなか難しい人たちがいる。それは、ろう者や難聴者をはじめとする、きこえない・きこえにくい人たちだ。

「美容室は唯一、聴覚障害者が補聴器を外す場所なんです」

そう話すのは、4Hearts代表で、自身も生まれつき聴覚に障害を持つ那須かおり。

カラーを長持ちさせるためのケア方法、クセのある髪を希望通りにまとめるブローの仕方……ヘア関連のプチ情報にとどまらず、趣味の話、近所の美味しいお店の話、ローカルニュース。那須にとって「雑談」は「憧れ」だという。

しかし、美容室は‟髪を切る場所“。それ以外のなにものでもなかった。

CHELSEA hair

2023年2月、スローコミュニケーションプロジェクトでは、美容室における情報コミュニケーションバリア解消に向けた取り組みに乗り出した。プロジェクトに賛同し、実証実験に協力してくれたのは、茅ヶ崎にある美容室『CHELSEA hair』。高久秀明さんと聖子さん、ご夫婦で営む、席数4席の小さな美容室だ。

今回の取り組みは、スローコミュニケーションプロジェクトがスタートする新事業=「コミュニケーションデザインコンサル」の第一弾でもある。プロジェクト事務局から情報コミュニケーションバリアに詳しいスタッフが実際に店舗に赴き、オペレーションや作業フローを見ながらバリア解消に向けたコンサルティングを行う取り組みだ。

今回は、事務局から那須かおりと津金愛佳の2名が店舗を訪れた。2日間にわたって行われた第一弾の実証実験では、主にきこえない・きこえにくい人の美容室利用に関して、音声認識ツールの活用という非常にシンプルな解ながら、美容室、利用者双方向に大きな効果が期待される結果となった。

実証実験1日目は那須自身のカット・カラー体験、2日目は、40代で難聴の診断を受けたという岩浪由美さん協力のもとトライアルを行う。ここでは主に、2日目の様子をレポートしながら、美容室という場所を考えていきたい。

CHELSEA hair

那須かおり、高久秀明さん

茅ヶ崎駅南口から歩いて7分、鉄砲通りの美容院『CHELSEA hair』。高久秀明さんと聖子さん、ご夫婦で営むこの美容室は、オープンして8年になる。

それまで東京で働いていたという秀明さんは、老人ホーム等を訪れる訪問理美容を経験しており、耳の遠い方や目が不自由な方、認知症の方、寝たきりの方、車いすの方などにも向き合ってきた。そのバックグラウンドもあって、今回の実証実験に積極的だ。

普段から『CHELSEA hair』でカットをしているという那須と、担当美容師・秀明さんとの会話は、いつもスマートフォンを介して行われる。

「今日はどんな感じにしますか?」

秀明さんが、自身のスマートフォンの音声入力機能を使用し、表示されたテキストを那須に見せる。施術前後に行うコミュニケーションは、スマホを介しても問題なく行われる。多少のタイムラグと不便さに目をつぶれば、だが。

しかし、いざカットを開始すると、そうはいかない。施術に両手をとられるから、スマホを触ることは難しく、カット具合の確認やシャンプー台への誘導など、必要最低限の案内しか行われない。あくまで“情報伝達”の域を出ないものたちだ。

それどころか、「かゆいところはないですか」「お湯は熱くないですか」といった、美容室で必ず交わされるであろうこうした問いも、那須は「まったく知らなかった」と話した。

今回導入するのは、ヘアカット時の音声認識ツールと、シャンプー時の指差しメニュー。2日間、実際の施術を辿りながら、美容室における情報コミュニケーションバリアへの対策としての最適解を探っていく。

2月9日、岩浪さんが『CHELSEA hair』に訪れた。『CHELSEA hair』を利用して久しいが、音声認識ツールを利用してのカットは初体験だ。

今回導入したのは『YY文字起こし』というアプリケーション。このアプリをダウンロードしたタブレット端末を鏡台手前に置き、秀明さんはピンマイクをセットする。こうすることで、ハンズフリーで、美容師自身も他の客への対応と同じように、両手を動かしながらコミュニケーションをとることができる。

CHELSEA hair

この日の一週間前に、行われた那須のヘアカットとカラーでのトライアルでは、慣れないマイクの扱いに四苦八苦していた秀明さん。言葉を発するスピードや声量など手探りで、きちんと言葉が認識されるように、と単語ひとつひとつをしっかり発音しようと試みるあまり、非常にたどたどしく不自然になってしまう。時に声がこもり、うまく認識されないことも。画面を見ながら、発した言葉が正確に文字表示されたことを確認しながら話すため、とぎれとぎれの会話に……。だが、その経験を経て今回は最初からスムーズなやりとりが続いた。

「自然に会話しているみたい」

第一声に驚きを隠せないのは岩浪さんだ。この日、最初数分は、音声認識ツールがない状態でカットが進んでいた。しかし、ツールを導入した途端に、会話量が各段に変わっていく。

「自宅での髪染めはなにを使っていますか?」
「どのくらいペースで染めてるんですか?」
「自然派のヘナは入浴剤にも使えて……」
「髪にボリュームを出したいときは、こうやってブローするといいですよ」

岩浪さんが『CHELSEA hair』を訪れたのは3回目だと言うが、「初めて知ったことばかり」と目を丸くする。

店内のBGMが入ったり、他のお客さんの会話を拾ったり。あるいは、「シャンプー」が「散歩」に変換されたり(「シャンプーしていきます」が「散歩していきます」に変換されてひと笑い)。

様々なことは起こるものの、「前後の文脈で内容もわかるし、これもまた笑えていいわね」と好印象。岩浪さんは、「鏡があるのがまた対面でお話しているみたいで嬉しい」と声を弾ませる。

「こんなに話せると思っていなかった」と目を輝かせながら、「聞きたい情報はあるけれど、喋らないのが習慣になっているから、(喋るのが)面倒になってしまってるのよね」と心の内を明かした岩浪さん。なにか言いたくても、スマホを出して、入力して、画面を見せて……というステップがあると思うと、諦めてしまう。あるいは、遠慮の気持ちもあるだろう。

その気持ちは秀明さんも同じようで、「話しながら『あ、そういえばこんなこともあったな』と思い出して話せることもあった」と振り返る。スマホに入力しようと思うと、ある程度、事前に頭で内容を考えることになるだろう。自然な会話ができるからこそ、瞬間的・反射的に伝えられる情報も増えていく。

美容室に用意しているドライヤーなどの美容器具やトリートメントのこだわり。理美容への熱い想いもするすると出てくる。

「高久さん、静かで控えめで遠慮がちという印象でしたが、これほどこだわりの強いお方とは、聞こえない私は全く勘違いしてました」と、岩浪さん。一方の秀明さんも、「(3回目の来店だけれど)岩浪さんがどんなことに興味があるのか、あんなことを知りたいと思っていたなんて、わかってなかった」と感慨深げだ。

会話が、お互いの理解も深めていく。

「サイド部分をふんわりさせたくなくて」という岩浪さんのお悩みには、「ワックスを手にとったら、毛量が多い頭上部分からつけて少し馴染ませてからサイドを使うのがいいですよ。そのままだとべたついてしまうので」とプロの答え。

「今まですっごく損してたんだ」

と、今日何度目かの驚きを口にした岩浪さんは、会計時、「これで同じ値段なの?!」と驚愕。「3倍くらい得した気分……」と呟いて、大満足の様子で帰路についた。

CHELSEA hair

シャンプー台では、指差しメニューを活用する

「美容室って会話が生まれるものなんですよね」

そう話したのは、この様子を近くで見ていた聖子さん。今回トライアルが行われた2日間、聖子さんは同時間帯に来店した別のお客さんのカットを担当していた。

「私が担当したお客さん、『なにやってるの?』と聞いてくれて、ご説明したら感心してました。ご自身もお店をされている方だから、考えるきっかけになったみたいです。こうした取り組みをお店の一角ででもやっていることで、他のお客さんが気付く機会にもなりますよね。美容室って、他の人の会話から人同士が繋がることもあるし。(『CHELSEA hair』が)狭いからこそ良かったのかもしれない」(聖子さん)

美容室が、人が交差し、偶発的な交流や気付きが生まれる場所だとしたら、ここはもはやひとつのコミュニティともいえるのではないだろうか。

美容室は“髪を切る場所”。カットをしている2時間足らずのこの時間で、その認識そのものが変化していく。岩浪さんにとって、美容室という場所自体の認識と価値が大きく変わったことだろう。

CHELSEA hair

終了後、岩浪さんがメッセージを寄せてくれた。

「話される方がとても自由に手放しで話ができること、また鏡があるので対面で話をしている感じになること、時間差がほとんどなく自然な会話ができることなど、思った以上に楽しい時間が過ごせました。

耳が聞こえないということが、これほど情報から遮断されているとは思っていませんでした。同じ金額をお支払いしているのに損してるとしか言いようがありません。ドライヤーやシャンプーへのこだわり、聞こえない人にも伝えないともったいないですよ。お互い様ですが。『YY文字起こし』を使っての取り組み、成功だと思います。私自身が持ち歩きたい機能ですね」(岩浪さん)

一方の秀明さん。美容室経営の目線でも思うところがあったようだ。こうしたツールの導入をはじめ、誰しもを受け入れられる体制を整えていることが、美容室の大きな強みになるのではないか、と話した。

CHELSEA hair

美容室における情報コミュニケーションバリア解消への取り組みは、確実な手ごたえとともに大きな一歩を踏み出した。今後さらなるブラッシュアップを経て、実導入に進んでいく。

YY文字起こし(株式会社アイシン)

ライター