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【対談】伝えることを諦めない。共に生きる「まちづくり」今伝えたいメッセージとは?

神奈川盲ろう者ゆりの会 会長・川島朋亮 × 一般社団法人4Hearts 代表・那須かおり

私たち一般社団法人4Heartsは、「心のゆとり」を持ちながら、相手の事情を想像してコミュニケーションを取ることを推進する『スローコミュニケーションプロジェクト』を提唱しています。
社会と当事者の両面にアプローチし、「スローライフ」「スローフード」に続く「スローコミュニケーション」のある「まちづくり」を目指し様々な活動を行っています。

今回は、「まちづくり」の観点から、神奈川盲ろう者ゆりの会 会長・川島朋亮氏と一般社団法人4Hearts 代表・那須かおりの対談を行いました。

 

●川島朋亮:神奈川盲ろう者ゆりの会 会長。生まれつき耳がきこえず、ろうあ者として教育を受ける。その後35歳の時に視力が落ち、「見えづらい・きこえない」盲ろう(弱視ろう)に。
●那須かおり:一般社団法人4Hearts 代表、スローコミュニケーションプロジェクト発起人。生まれつき耳が聞こえない。

 

「社会に“合わせて”頑張らないと生きていけない」強迫観念があった

 

那須:スローコミュニケーションプロジェクトは、元々聴覚障害者の心理課題から始まりました。私自身、当事者としての経験で、例えば筆談をお願いすることを「申し訳ない」と思うことがあって、それをなんとかできないだろうかと。でも、立ち上げ当初に実施した対話イベントにいらした視覚障害の方が、「職場で(障害者である)自分が席を埋めていることが申し訳ないと思ってしまう」と泣きながら仰ったんです。それを目の当たりにした時、周りに対するこの気持ちって全ての障害者に共通しているんだと気づき、方針を転換しました。それと同時に、この社会で多様な人たちを「受け入れる」以前に、まずはその人たちに「気づく」必要があると思い、このプロジェクトが始まりました。

だから、プロジェクトの対象者は、まだ多様な人々の存在を認識していない「社会」と、普通を装ったり遠慮したりと心理課題を抱える「当事者」の両方です。その点から、私たちはこのプロジェクトを「障害者福祉」ではなく「まちづくり」と言っています。
川島さんが盲ろう者の視点で「まちづくり」を考えた時に、何か伝えたいことはあるでしょうか。

川島:まずは一個人として、僕自身が生きてきた中で気付いたことを交えてお話したいと思います。

僕は生まれた時には目は見えていて、ろうあ者として教育を受けてきました。当時はまだ手話が禁止されていて、私は口話、発音、聞き取りの訓練などを毎日毎日受けていました。その日々の中で、僕には「自分は聞こえない。だから、健常者のみんなに“合わせて”頑張らなきゃいけないんだ」という意識が生まれたんですね。そうしなければ、社会の中で生きていけないのだと。

一生懸命に訓練を受けて、先生や家族に「お話が上手ね」と褒められた時には気持ちよかったです。それで、普通高校にチャレンジしましたが、僕の口話コミュニケーションには限界がありました。友人たちが笑って盛り上がっているけれど、僕はついていけず、内容がわからない。でも、我慢して笑うふりをする。そういう生活が続きました。友人から「手話を教えて」と言われたこともありましたが、当時の僕はろう者であることが恥ずかしく、健常者と同じふるまいをしたくて、断りました。

先生も、家族も、障害者に対して「みんなは社会にあわせて生きるために頑張らなければいけない」と仰っていました。そんな中で、「健常者中心の社会で、健常者の世界に合わせて、自分がその社会に生きるために努力しなければならないんだ」という強迫観念みたいなものを育てられたのだと思います。でも、やっぱりそれはおかしいですよね。

障害者でも生きる意味があるんです。障害を持って生まれたとしても、その人らしく生きること、「社会」ではなく「一人ひとり」に合わせたコミュニケーション方法を教えたりするプラス思考や前向きな気持ちを持ってほしかったと、過去を振り返って思うのです。

自分の子供が障害を持って生まれた時、ショックを受けて悲しんだりとマイナスのイメージがありますよね。僕の両親もきっと、苦しみ、悲しんだと思います。それでも両親は、手話習得に努めたり、ろうあ者と積極的に交流したりして、僕が結婚する時には手話を使って挨拶しました。その姿を見たみんなから、僕は「羨ましい」と言われました。

その人に合わせて手話や点字を覚えたりと積極的でプラスな気持ちを持ってコミュニケーションができれば、子供も安心して、心にゆとりを持つことができる。そして初めて、「自分らしく生きる」ことができるのだと思います。そのような社会が必要だと思います。

かつては手話を避けていた僕ですが、20歳の頃に先輩ろうあ者が「手話も立派な言語であり、ろうあ者が手話を使うことは当然だ」と教えてくれて、考えが変わりました。今では自分らしく生きるための大切なコミュニケーションツールです。

盲ろう者といってもコミュニケーション方法はまちまちです。指点字、蝕手話、パソコンの要約筆記、オブジェクトキュー。自分に合ったものを選ぶことで、自分らしさを表すことができる。そのことを、社会の皆様にも理解していただけることが大切ではないかなと思っています。

全日本ろうあ連盟が創立70周年記念事業として制作した映画『咲む』(※)中で、ろうの女性が生まれたばかりの赤ちゃんに「生まれておめでとう」という言葉を投げかけていました。これはすごく大切なことです。障害の有無にかかわらず、生まれた時には「生まれてきておめでとう」と言ってあげられる気持ちが大切だと思います。

(※ 映画『咲む』 https://emu-movie.jp/
ろうの女性の瑞月(みずき)が、ある村の役場で奮闘するヒューマンストーリー)

障害者も、社会に役に立ちたい気持ちがある。迷惑をかけたいわけじゃないんです。盲ろう者の場合には通訳介助員のサポートが必要ではありますが、サポートがあれば、僕にも何か役立つことができます。障害を持って生まれた悲観やネガティブな障壁ではなく、「生まれてきておめでとう」の気持ちがあれば、障害を持つ人も持たない人も、助け合いながら共に生きるまちづくりが実現できると思います。

 

 

コミュニケーションは生きる源。仲間は一歩を踏み出す勇気になる

 

那須:私の場合は、4歳の時に、生まれつき聞こえていないことがわかりました。川島さんと同じく手話禁止の名残があって、口話教育を受けました。私の場合はそのタイミングで両親が離婚をして、言語獲得を急がなければならない状況だったんです。

口話教育でやってきて、ただ、川島さんと同じように中学になると友人たちとの会話に入れず限界を感じ、将来を思い描くことはできませんでした。高校からはろう学校に入りましたが、自分の障害を周りに説明したり、「障害があっても大丈夫だ」って強く生きていくことがなかなかできなかったんです。話す言葉も綺麗に教育されていたので、「きこえる世界」にも「きこえない世界」にも入れなくて、余計に、自分がどういう立ち位置で社会の中で生きればいいのかが全くわからなかったです。

いまでこそ、「自分の力を生かして生きていけばいい。社会にどんどん出ていこう」という話をしてはいますけれど、きっと当時の私には響かなかったと思うんですよね。でも、昔の私みたいな人ってたくさんいると思うんです。そういう人たちが、「もっと表に出ていってもいいんだ」って思えるためにどうしたらいいんだろうって悩んでいるんですけれど……川島さんはどう思われますか?

川島:少し逸れてしまうかもしれませんが、私が「ろう」から「盲ろう」になった時、「自分は何もできなくなった」そういう強い思いがありました。「見えない・きこえない」になったことで、自分には何もできない、もうみんなを助けることもできない、協力することもできない。非常に不安になって、三ヶ月、寝ることもできない日々を過ごしました。心が疲弊して病気になった経験もあります。

どうして不安だったのかと振り返ると、自分を受け入れられなかったから。「見えている」世界にこだわりが強かったんですよね。「見えていた時に戻りたい」と思う気持ちがあったのかもしれない。でも、自分と同じ盲ろうの仲間と出会い交流を重ねて、自分も盲ろう者としてできること、学ぶことがたくさんあることに気づきました。そうやって少しずつ、盲ろう者としての自分を受容できるようになりました。同時に、初めて自分らしく自分を表現することができるようになったんです。

だから、一つは、同じ障害を持つ仲間に出会って、色々と話してみることですね。盲ろう者の場合であれば、通訳介助員と話すのもいいと思います。自分だけで考えるのは難しく、限界があります。だから、仲間をたくさん作って、話し合ってみる。そうすることで、自分の道を探すことができると思います。

那須:普通を装って社会に埋もれている方々をどうにか引っ張り出せないかとずっと考えてはいたんですけれど、今お話を伺って思ったのは、その方々は、自分の生き方を見つけられていない方ともいえるのかもしれませんね。活躍できると思える何かを、一人ひとりの中に見つけて、引き出していけたら……。

川島:ゆりの会(神奈川盲ろう者ゆりの会)に参加されている方々は皆さん、表情が明るいです。自分一人ではなく仲間がいるんだ、サポートもあるんだということで、楽しく生きていけるようですね。今特に大切だと思うことは、「コミュニケーションは生きる力の源」だということです。元気に生きるために、毎日のコミュニケーションは欠かせない重要なことだと私は思いますね。

 

 

「意識を変える」への挑戦

 

那須:私自身がきこえる世界ときこえない世界の狭間で迷った経験があるからこそ、加齢で徐々に耳が遠くなってきた方など「曖昧な困難さを抱えている人」だったり、普通を装ってしまう人に対して、「大丈夫だよ」って言えたらいいなと思っているのですが、これってすごく難しい課題だなと思っていて。

川島:難しいですよね。障害者が子供のうちに、学校の先生や家族が、一人ひとりにあったコミュニケーション方法を覚え、「無理に努力する必要ないよ」「マイペースに生きて行けばいいんだよ」って教育を受けていれば、そこまで大きく悩むことはなかったのかなと僕は思うんですよね。どうでしょうか。

那須:私もそう思います。学校の教育や社会の風潮を変えていかないと。そのためには一人ひとりの意識を変える必要があると考えているので、今は子供向けに「見えない・きこえない・話せない」を体験しながら楽しめるイベントを考えたり、学校の先生がそれを使って授業ができるような教材を考えたりしています。

川島:(イベントの)記事を拝見しましたよ、とてもいい活動だと思います。

那須:ありがとうございます。「意識を変える」という一番難しい課題に取り組んでいるなとは思っているのですが……。例えば以前、とあるスーパーの店長さんが、「うちのお店には聞こえない方は一人も来店(利用)されていませんよ」と仰っていたんです。でも、実際にはそのスーパーには聞こえない方もたくさん買い物に来ているんです。普通に買い物して帰っているから、見てもわからない。「健常者だけですよ」となってしまう。そのくらい、社会は気づいていないんですよね。

川島:そうですよね。僕も、一人で白杖を持って歩いていると、盲人だろうと思った方から声をかけられることがあります。つまり、「見えないけれど、声は聞こえるだろう」と思い込んで。親切心で、「何かサポートが必要ですか」と声をかけてくださるのですが、逆にとっても困ってしまいますよね。見えないだけじゃなく、聞こえないこともあるんだと。説明するのも時間がかかるから、あえて無視してしまうことも時々あったり……。

那須:そういうところも変えていく必要がありますよね。

川島:障害者差別解消法や障害者権利条約の推進など、今、日本でもようやく社会が少しずつ変わり始めてはいますが、特に身体障害者の場合は、見た目だったりとか、固定のイメージで判断してしまうことも多いですよね。本来は、一人ひとりの特性を理解しないと、サポートやコミュニケーションも難しいだろうと僕は思います。

同じろうあ者でもコミュニケーション方法は微妙に違いますし、見た目には普通のように見えても、軽度の知的障害も持っていて細かいコミュニケーションを取るのは難しい方がいたりもしますから。身近な障害者の方と仲間になって、一緒に遊んだり買い物に行くみたいな機会を作れればいいんですけれどね。障害だけではなく、高齢化社会の中では、様々なサポートが必要な人も増えていると思いますから、それも大きな課題の一つかなと思いますね。

 

 

大切なのは、伝わるまで伝え続けること

 

――「健常者を中心に作られた社会に馴染まなければならない」という強迫観念の中で生きてきた気がするというお話がありましたが、その世界の中で、健常者の立場では、どのようにすれば、そうした方々が自分らしく生きられる環境を作っていけるんでしょうか。

川島:健常者の方、障害者自らも含めて皆さんにお願いをしたいことは、交流に積極的になることです。

今、障害者は遠慮の気持ちからなかなか声を出しづらいのかなとは思います。でも、自分の気持ちのこと、どんなコミュニケーション方法がいいのかなど、自分から言わないと、みんなわからないままですから。そういうことを言える場があれば、分かり合える機会が生まれるんじゃないかなと思います。

これからの社会は、健常者中心ではなく障害者も共に生きることが当たり前になると思いますから、障害者一人ひとりも自分のことをもっと知る必要があるし、援助をもらうばかりではなく、自らも援助するんだと思うことが大切だと思います。

那須:私もまさにそう思っていて、盲人もろう者も、みんなが自分の困りごとや、やりたいことを発信することがすごく大事ですし、それができる環境=「心理的安全性」のあるまちづくりが必要なんだろうなと思います。勇気を出せない人に対して、「伝えることを諦めない」ことが大事なんだって言っていきたいなというふうに思っています。「伝えることを諦めない」について、川島さんからもメッセージをいただけますか?

川島:私が盲ろう者になった時、コミュニケーション方法が手話から蝕手話に変わりました。見て知るのと触れて知るのは感覚が全く異なり、妻とのコミュニケーションは本当に大変でした。妻が伝えたいことを私は読み取れない。逆も同じで、互いに伝わらないことにイライラすることもありました。もう諦めてしまおうと思ったこともありました。でも、時間をかけて繰り返し繰り返し、伝わるまでコミュニケーションをとった経験があります。スムーズに通じ合えるまでに5年、かかりました。

こうした経験を経て伝えたいことは、絶対に諦めず、コミュニケーションを取り続けることの大切さです。特に社会みんなに伝えようとするなら、一回だけでは難しいです。「どうして」「何のために」伝えているのか、伝えたいのか、その意味をみんなが理解するためには、繰り返し繰り返し伝え続けること。そうすれば少しずつ理解を深めていけると思います。健常者の方でもきっと同じでしょう。一回だけ伝えても、それで相手が本当に理解できたのかというと、そうではない場合もあります。しっかりとコミュニケーションをする機会を作らないと理解し合えません。

諦めずに伝えていくこと。僕自身それを頑張っていきたいと思いますし、障害を持つ皆さんもぜひ、望みや必要なものを伝えていくことを続けてほしいと思います。初めはなかなか理解を得るのは難しいでしょうが、それでも、わかってくれる人が一人でもいたら、「伝える」ことは大きな効果があったと言えると思います。そういう人たちを少しずつ増やしていくことも大事だと思います。

那須:お話を伺って、伝え続けることに希望が持てた気がします。私自身改めて使命感を感じましたし、多くの人が勇気づけられるんじゃないかなと思います。

川島:障害者というと健常者の足を引っ張るように見られがちで、障害者本人もそう思って消極的になってしまう面もあると思います。そういう経験を私もたくさんしてきました。だからこそ、自分の気持ちや希望を発言しにくい。でも、それをやらないと、本当の気持ちを表す=自分らしく生きることが難しくなると思います。

僕自身、小さい頃に手話をはじめ、たくさん「ダメ」と言われ続けて、自分らしく表すことが難しくなりました。それはきっと、夢を持つことを潰しているのと同じです。例え子供に障害があっても、一人ひとりがやりたいことを大切にしてあげることが大事だと思います。そうすれば、自分の道を考え、選ぶことができます。障害者一人ひとりが心のゆとりと楽しみを持ちながら生きていられる社会を作っていければいいですね。

ライター